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上の写真は原種のシクラメンです。寒さにも強いということで庭で育てたいのですが 今はまだ部屋の中です。 クリスマスとお正月の間が1週間しかないために、子供の頃からずっと何十年も 複雑な心境を持ち続けたまま、今に至っています。 育った家庭がキリスト教だったため、クリスマスというとクリスマスキャロルを初めとして 色々と楽しみも多く、25日を境にぱっとお正月の準備に入る社会の動きに なかなか気持ちを合わせることができないまま大人になってしまいました。 そうは言っても、日本人ですから元旦の朝のなんともいえないすがすがしい気持ち 、おせち料理、伝統に根ざした遊び、家族が揃う喜びなど・・・ お正月を楽しんできました。 西洋の最大のお祭りであるクリスマスと、日本の最大のお祭りのお正月。 今や、2つのお祭りのバックにある個々の宗教性は薄れてはいるものの、 深い伝統に根ざした西洋と日本のお祭り。 私の心は、その2つの文化の間で揺れているのです。 さあ、そろそろお正月の準備をしなければ・・・・。
by andantin
| 2007-12-27 17:51
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Comments(5)
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はるにれ
at 2007-12-27 20:06
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なんだかとてもandantinさんに共感しながら拝見しました。私の育った家庭はクリスチャンではなかったのですが、4歳から日曜学校で育った私にとって、やはりクリスマスはとても楽しくて、厳粛な気持ちでキャンドルサーヴィスに出たり、中学生くらいからはキャロルで廻る楽しさもあったり、アドヴェントの一本目のキャンドルが点される頃から25日までは本当にクリスマス一色。クリスチャンではない両親でしたが、子ども達がそんな時を過ごすことを喜んで見ていてくれました。26日からは、一緒に住んでいた祖母とおしょうがつの用意。神社に人型を納めについていったり、必ず御膾の大根切りを手伝わされたりして、クリスマスとお正月のギャップを感じていたし、私ヨーロッパのどこかの国に生れていればなぁなんて思ったりしていました。3が日の翌日が我が誕生日。お客様の接待に疲れた母が「いつもあなたの誕生日はおせちの残りで悪いわね」といわれたりしてましたっけ。クリスマスとお正月に気持ちを切り替えられないということは、大人になってもどこかで引きずっています。どこかで「私は純粋の日本人ではない精神構造だなぁ」と思うことがあります。
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shinonome
at 2007-12-28 01:54
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複雑な心境の親の元育った私は、ますます複雑な思いを抱いています。「日本人家庭に育ったのに、なぜクリスマスは厳粛に過ごしてもお正月の初詣には行かないのだろうか?しかも私はjesusを信奉していないのに。。。」と。今年はクリスマスに仕事でディナーショーにゆき、「merry Xmas, merry Xmas!」と繰り返されるのが違和感で違和感で仕方がありませんでした。いったいみんな、何を誰を祝っているのだろうか???と。。。
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andantin at 2007-12-28 16:14
:はるにれさん :shinonomeさん
一まとめにしてすみません。同じ話題なものですから・・。 クリスマスもお正月も、元をたどっていけば同じ起源に行き当たるのかもしれませんね。 つまり、冬至を境に昼の長さと夜の長さが逆転していく・・・ということから 死と再生のお祭りに、そしてその土台の上に宗教が結びついたということなのでしょうか。 はるにれさんも私も、ごく小さな子供の時に西洋的な文化を色濃くインプットされ、私の場合はおじいさんやおばあさんとの生活もなかったため、日本の伝統行事に疎くなってしまったのかもしれません。 それにしても昨今の世の中のクリスマス騒ぎは、ただ商業ベースに乗せられているだけのように思えます。 shinonome さん、これは日本だけの現象でもないんでしょう? はるにれさん、わたしも変な日本人なのです。そこら辺のことを河合先生とお話できたらなぁ・・・・と妄想していたのですが。
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はるにれ
at 2007-12-28 23:57
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私はもっとandantinさんより複雑なのかもしれませんよ。我が家では父、母、祖母共に初詣には行っていましたが、どういうわけか一人ずつ行ってました。子どもを同行させる事はなかったのです。祖母曰く「お参りは神様と私との出会いだから一人ずつなの」この言葉は、小さい私にすごく影響があり、私の神様は神社じゃないと思ってましたから。だから神社やお寺に行っても、すごくそうした場所は好きですが、手を合わせたことはなし。直接河合先生とはお話しする機会はなかったのですが、著書を通して、やはり私は日本人なのだというアイデンティーは確立できたし、河合先生と同時代スイスにいらした目幸先生とおっしゃる大きなお寺にお生まれになった先生と直接何度かお話したことがあります。そこで得た物は大きかったのですがそれは又の機会にお話しますね。
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andantin at 2007-12-29 16:31
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